よろよろぶろぐ

how lucky i am

物足りなさについて

同世代くらいの夫婦が子供を連れてスーパーで買いものをしていた。

特別ではない、よく見る日常の風景。

 

そんな風景を見ながら、日常とは退屈なものなのだろうかと考えていた。

日々を無事に過ごしていく中で、そうそう刺激的なイベントはないだろう。

無いほうがいいのかもしれない。

 

昨日と変わらない今日

今日と変わらない明日

そういう日々の繰り返しが日常であり、幸せなのかもしれない。

 

じゃあ、私はどうだろうか。

繰り返す日々の中で生活をしているが、

どこか物足りなさを感じているのも事実な気がする。

 

このもやもやをどうやって対処すればいいのだろう。

特段対処しなくても生きていけるが、何か足りない気がするのはなぜだろう。

周りの人も多分同じもやもやを持ってそうだが、

自分だけが苦しい気がするのはなぜだろう。

 

現状に満足していないと思うことで、自分自身を落ち着かせているんだろうか。

まだ自分は満足していない、未来に期待を持っているんだ的な。

自己嫌悪が一種の自己陶酔であるのと同じように。

 

仮に日常のもやもやが無くなる日が来るとするなら

それは自分のためだけに人生を生きるのを辞めた日から、なのかもしれない。

 

じゃあ、いつ人の幸せを背負って自分の人生を歩む覚悟ができるんだろう。

大人になったらはいつなんだろう。

 

答えの出ない問い向き合いつつ、

土曜日の仕事を進めることにしよう。